デザイン鑑賞部2

ポスターアートとかグラフィックデザインのことなど

A day in Ishinomaki_20110521

A day in Ishinomaki_20110521
◆震災とメディア
震災を知ったのは号外でした。家に戻るとテレビは震災の報道ばかりになっていました。どんどんひどさが伝わってきました。

テレビではNHKのすごさや、某チャンネルの被災者へのインタビューのひどさに気づきました。
twitterでは、本当にリアルタイムにいろんなことが伝わってきて、お互いに励ましたり支え合ったり情報を共有し合ったりしていて(帰宅難民にトイレを貸すとか、炊き出し場所とか)、新しいメディアが新しいつながりの形をしていて感動しました。

そんな中でも、物事が「情報」になる前の段階で、嘘・秘密・利権などがあるのが強く感じられました。いろんなことがいろんな場所で論じられているけど、そんな状態の中では自分の意見を持てない、本当のことを知りたい、と思いました。じゃあボランティアに行けば、困っている人たちの役に立てる上、知りたかったことに近づける、と思いました。

◆ボランティア希望
「被災地県内のボランティアのみ募集」というのはたくさんありました。「無知なボランティアはかえって迷惑」という話もあります。だいたい災害ボランティアは未経験なので、行き方もわからないしあちらでの自分の衣食住も(トイレ1つでさえも)不安でした。そこで誰かに連れて行ってもらえるチャンスをうかがっていました。

とある休日にZIP-FMを聞いていたところ、「愛知ボランティアセンター」というところで、救援物資を送ったり、ボランティアを派遣しているというのを聞き、即申し込みました。愛知県民でなくてもよく、ボランティア保険のことなども心配がなさそうでした。ただそのような団体は少ないのか競争率が高く、2度目の申し込みで今回やっと行くことができました。

メールによると、2台のバスで石巻と気仙沼へ派遣とのことでした。私は本当は街の瓦礫撤去の作業がしてみたかったのですが、「避難所で野菜サラダの提供」の担当グループに配属とのことで、ヘルメットや安全靴など不要とありました。いろいろ買うんかなどうしよう?と思っていたので、ちょっと拍子抜けでした。「サラダの提供」・・?

◆初日
当日までに特に準備する物は携帯食と水ぐらいでした。金曜日、早めに仕事を上がらせてもらい、名古屋の東別院へ。6時集合ですが5時に来て物資の積み込みなど手伝っても可、とのことで5時すぎに着きましたが、積み込みなどは普段仕分けをしていらっしゃる方々が上手にやっていらっしゃったので、お参りだけすませて6時まで緊張しながらぼんやり待っていました。
参加者の顔ぶれは、思っていたより若者が多かったです。家族、運動部?、外国人の方まで!

6時に受付。応援のバナナをもらい、帰りに履く替えの靴を預け、バスに乗りました。
出発し、代表の久田さんという方の挨拶。東海高校の先生だそうです。参加者には教え子も何人もいる様子。今後は中高生を派遣したい、とか、今お腹の中にいる赤ちゃんが高校を卒業するまでの19年間支援をし続ける、などビジョンを熱く語っていらっしゃいました。
実は一番心配していたのは、宗教や政党とかの、極端に思想のかたよった団体じゃないといいな、ということでした。この段になって、ようやくその心配がなさそうだとわかり、ほっとしました。

バスは7時に出発しました。夕飯(おにぎり)を食べたり隣の席の方としゃべったりしました。隣のAさんは、何度か仕分けを手伝っていたけど、現地にも行ってみたくなり、GWに1泊のスケジュールのときに参加されたそうでいろいろ教えていただけました。薬剤師なのだそうで、役に立てたらいいな、とのことでした。

2時間おきぐらいにSAに寄りました。毎回トイレというよりは体を動かすためもあると思います。最初は慣れず、寝たり起きたりが辛かったのですが、朝方には朦朧というかぼんやりというか。

◆2日目
夜が明け高速道路を降り、しばらくしても、街はなんともありませんでした。どこが被災したのか、もしくは石巻はそれほどでもないのかな、などと思っていたら、あるとき建物の壁に津波の跡が見え始めました。そこからはあの惨状です。家屋は地震ではなんともなかった、津波でめちゃくちゃになった、ということです。

街を進み、市役所でトイレ休憩。バスから下りると、なんともいえず臭いました。どぶのような、海水のような、トイレのような。建物は1階はスーパー?、2階が市役所でした。スーパーは営業をしておらず、ボランティアの受付や何かの休憩所など別の用途に使われていました。壁には水位の跡が。市役所の壁には無数の張り紙。

行き先の避難所の都合で時間調整の必要があり、石巻で最も被害のひどかったエリアへ見学に連れて行っていただけました。途中、007や仮面ライダーの銅像を何体も見ました。石ノ森章太郎のふるさとのようです。後に川沿いに「石ノ森萬画館」があるのを見ました(被害状況は不明)。

大きな橋を渡り「門脇小学校」へ。街だったはずの地面にはわずかな土台と、瓦礫の山しかありませんでした。そこに焦げて真っ黒になった小学校の建物が。聞くところによると、地震が起き、小学生達は裏の山に登り大方助かったのに、子どもを逃がそうと車で迎えにきた大勢の親が津波に巻き込まれたそうです。つまり子どもがたくさん親を失った現場です。
運動場だったところには百台以上の車が残されていたそうですが、片付けられて、自衛隊の車両が止められていました。

メールをもらった段階で行くはずだった「湊小学校」では、今回はミシンを届けただけでした。どこかの芸能事務所が急きょ慰問&炊き出しをすることになったので、サラダは必要なくなったとのことです。
避難所である渡波(わたのは)保育所付近に止まり、牡鹿半島へ行くチームと分かれました。
道路は大きなダンプやトラックがたくさん行き交い、ホコリや土煙を巻き上げていました。

◆渡波保育所
保育所の表にはマルチーズと雄鶏がいて少しなごみました。
調理場は1階だったので知りませんでしたが、避難所には2階にお年寄りが7~8人いらしたようです。Aさんを含め医療関係の技術をお持ちの数人は、2階へあがりました。(最初は30人以上いらしたそうですが、家族やお知り合いのところなどへ移動した)そこには定期的に赤十字の方が来ているようで、急に来たボランティアはメインで活躍するというよりは、話をしたり、肩をもんだりしたみたいでした。

保育所でも、その近所でも、県内外のボランティアの方々や、医療関係の方々、警察や迷彩服の方々が行き交っていました。私たちは「愛知ボランティアセンター」の腕章をしていたので、「愛知の方ですかー」と声をかけられることが多かったです。お互いに知らない同士でしたが、にこやかに、何か通じるものがある感じでした。
でも、まれによくない方々も紛れ込むようで、「警戒しましょう」との張り紙もありました。

保育所では毎日、朝はコンビニのおにぎり、昼はパンという生活だそうです。付近の方のも含め30人分+午後に渡波小学校へ持っていくのも含め300人分のサラダを準備することになりました。
野菜を提供するのは代表者の久田さんの阪神大震災などのボランティアの経験からだそうです。生鮮食品は流通や保管が難しく、喜ばれることを期待しています。

サラダの食材は宮城のJAに注文したそうです。道具や調味料はこちらで準備しました。かき氷のカップにレタスをちぎり、大根とキュウリを刻んで味をつけて載せ、コーンとプチトマトをトッピングします。
保育所には水道が通っていませんでした。どうするかというと、持参したペットボトルの水で野菜も手も洗うのです。正直やりづらかったです。水道の水で物を洗えないってすごく不便でした。ビニル手袋も使って、だましだまし作業しました。衛生状態はベストではなかったと思います。

作業の途中、避難所の世話役をしている方が「いつまでやってるの?!」ということで話を聞くと、「ここは、30人分つくるためには場所をお貸しできるけど、それ以上のことは困る」とのことでした。
こちらとあちらの細かい打ち合わせの様子を知らないので何とも言えませんが、人助けに来たのにかえって迷惑をかけるわけにはいかないので、急いで撤収しました。

リーダーの方があわてて打ち合わせをし直し、小学校に調理場をお借りできることになりました。保育所の方にはご迷惑をかけたのに、お昼ご飯はここで食べていいですから、とのことで、部屋をお借りし、座っていただくことができました。部屋や廊下には津波の水位の跡が残っていました。その上に貼られた、保母さんの子ども達へのメッセージや、そこを訪れた絵本作家さんのイラストが胸を打ちました。

◆渡波小学校
小学校へ移動しました。そこには300人以上の方が避難されているそうです。夕食の放送の時間(4:30)に間に合うようにみんな(約10人)必死に準備しました。水道は一応あるのですが、「飲めません」とのこと。やはりペットボトルの水を使ってなんとか作業しました。私はひたすらレタスをちぎってカップに入れました。
ボランティアの仲間は、会ったばかりでさすがに友達になるまでにはいかなかったのですが、みなさん気分のいい方たちばかりでよかったです。

準備は順調にはかどり、片付けました。330もサラダを作りましたが、食材はそれぞれ1~2箱ほど余り、置いてきました。小学校のお世話になった方が「忘れ物大歓迎、物が全然ないから」といってらしたのが心に残りました。ビニル手袋や、サラダを入れたアイスのカップも、また洗って使うからうれしい、とおっしゃっていました。

余った時間で冬服の処分のための仕分けなどもしました。冬の服がどっさり届いたけれど、古かったり、汚れているものが残り、これからの季節には不要なのです。役所では、処分するものも男女など分別していないと受付けないのだそうです。

食事の時間になり、「愛知のボランティアの方がサラダを作ってくださった云々・・」と放送されました。集団の代表の方が取りにいらっしゃいました。私たちのサラダの他は、カップラーメンが今晩の炊き出しのメニューなのだそうです。箱でたくさんカップ麺があったのに、最後の方が来たときはなくなっていました。え?それは大丈夫なの??

一生懸命作ったサラダですが、被災者の方にはたった1杯です。役に立ったのか、すごく実感がないです。12時間、辛い思いで(←おおげさ)バスに乗ってやってきて、作業したのはたったの5~6時間。そしてまた12時間かけて帰ります。私はたった1回ですが、被災者には毎日ずっとのことで未来も見えていません。継続して実行するのがお互いのために大事だと思いました。
子どもがサラダのカップをもって食べている場面を見たとき、ちょっと「よかった」とおもいました。

小学校のトイレは、建物の外に仮設のものでした。流すのもバケツを用意してありました。(流す水を持参するスタイルは香港で経験済みだったのでそれほどでもなかった^^)2階以上のお年寄りはどうするのでしょうか。。
1階には公衆電話が何台も設置された部屋がありました。生活はやはり2階以上のところにあるようでした。
運動場には、移動図書館、シャボン玉で遊ぶ子ども達、パトカー、ボランティアの受付所のようなプレハブ。

これは非難ではなくて本当にただの疑問なのですが、働き盛りの大人をあまり見なかったです。どこにいるのでしょうか。
仕事、自宅の整理、または捜索?
そもそもいない?

◆帰途
いろんな経験や疑問を得て、帰途へ。行きに預けた靴に履き替えてバスに乗ります。もしそのままだったら、泥や臭いで悲惨です。

帰りのバスでは、牡鹿半島や気仙沼へ行った方達と合流後、こうだった、ああだった、と報告をし合いました。
気仙沼ではまだ全然瓦礫の撤去がすすんでいなくて、ある集落への道を1本作った!とのことです。おおきな庭石をくだいて移動させたりしたそうです。
牡鹿半島では、数カ所の避難所をまわったようです。物資の提供をうけたのが初めてで感激された、というところもあったようです。お返しにくじらやまぐろをごちそうになってしまったチームもあったそうです^^

菅生PAで1時間休憩、牛タンハヤシを食べました。そしてお土産を買いました。「お金を落とすことも支援のうち」だそうです。帰りもAさんとはたくさんしゃべったのですが、すぐに眠さが勝ってしまいました。座り過ぎてお尻が痛かったのはとてもよく覚えています。

◆3日目
寝たり起きたりしているうちに、朝8時に東別院に戻ってきました。行きに見送ってくださった仕分けチームの方が数人、朝なのに出迎えにいらっしゃっていました。

トラックから積み降ろしをしました。戻ってきた段ボールの口は開いていて、また次に支援に行くまでに色、数、種類など仕分け直さないと行けない様子です。その後全体で報告会をした後、私や大体の方は帰りました。残ったメンバーで、仕分けチームへの報告会をするそうです。

◆おわりにいろいろ
アルバムの写真ですが、最初に配られたプリントに「被災者や、自分たちの集合写真を無闇に撮らない」という注意があったので主に風景、ということになってしまったのですが、私のつたない報告とあわせてみなさんの想像の材料になればと思います。
やはり行けてよかったです。

帰った後に気がついたのですが、現地では死の臭いがしませんでした。もう2ヶ月も経っているので、人の目につくところは捜索済みなのでしょうけど、瓦礫撤去の希望をしていた段階では、もしかして辛いものを見なくてはいけないのかな、と心配をしていました。
まだ全部済んだわけではないでしょうし、福島の原発付近では探したくても入れない、という状況もあるでしょうが、自衛隊や警察の方々に敬意をもちます。

でもあの風景を見たり、経験したいろいろを通じて、お金はちゃんと役に立っているのかな、と思いました。不謹慎ですが、道や家を作り直すと景気が良くなるのでは、と一瞬思った時があったのですが、そんな浮かれた雰囲気は塵ほどもありませんでした。

また、通常ではない現実への対応の「良い」とか「悪い」とかの判断。
現場の状況がどんどん変わる中で身一つで対応。
私のような未経験の見知らぬ人同士をまとめて引率する。など、災害ボランティアは本当に難しい中、愛知ボラセンの方々は懸命にやっていらっしゃるなと感心しました。
◎愛知ボランティアセンター
↑みんな現地へ行け、ということではないです。
ブログからいろんなことが想像できると思いますので、お時間のあるときにのぞいてみてください^^

私はその後、テレビやネットで見る被災地が、ものすごく身近に感じられるようになりました。
みなさんに報告ができる機会に感謝します。

★書き残しメモ:お花(そなえる、飾る)・バナナが喜ばれた、マッサージ師・大工さんが大活躍
  1. 2011/05/23(月) 11:12:48|
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アンコールりんごさん

りんご110501NHK教育テレビの「Eテレ0655」の中の『いぬのうた』で、りんごさんのアンコール出演のお知らせがきました!
5月24日朝6時55分~です!
わーい!
みなさま早起きして見てください^^

この日に限らず、平日6時55分は「0655」、11時55分は「2355」を見て、はっとしたり・なごんだり、1日の始まりと終わりの時間を共有しませんか♪

  1. 2011/05/19(木) 18:19:44|
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カレー
えーとなんで「ド」が小さいの?
初めて気がついたYO!有名な話?
  1. 2011/05/14(土) 16:50:25|
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会津・漆の芸術祭2011「東北へのエール」へ

東北ss
会津・漆の芸術祭2011「東北へのエール」出品しました。
ぜひご覧ください^^
例年は漆に関する展示を行っていたそうなのですが、こんなことになってしまい、通常の計画通りに展示ができなくなり、芸術祭を中止にしないために、別のアプローチ方法を考えられ、このようなことになったそうです。

私は今のところ、震災や原発の被災(害)者ではないので、いろんなことの本当のところは分かりません。
マスメディアが伝えることはいろんなフィルターを通った後だというのを感じます。
自分の考えを持ちたいので、この目で見たり体験したい。
東北へ、チャンスがなんとかできたので、来週行ってきます。

  1. 2011/05/14(土) 16:44:12|
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お弁当で寄付だ

東北シール
シールアップ2美濃味匠のお店で、お弁当を買うと、売り上げからお店が10円を寄付してくれる、という運動をしています。
東北の絵のシールが目印です。(描きました^^)
予定ではあと半月しかないので、ぜひお近くに立ち寄って(!)お弁当を購入しましょう!
全部のお店ではないようなので、こちらを参考にしてください。
デリカのお店はお値打ちでいろいろうまいので好きですが、特にいつでもご飯がうまいのが素晴らしいとおもいます。ごはんは命ですよね~^^

  1. 2011/05/14(土) 15:40:29|
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三田洞神仏温泉

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連休中に、「三田洞神仏温泉」に入ってきました^^
「神仏」とかいって、何かあやしげ?というものではなかったです。近くに弘法さんの何かなどがある(あやふや)、ということのようです。
岐阜市役所が運営していて、タオルも石けんも自分で持って行かないと無い^^という地味な感じの温泉なのですが、長良川温泉のお湯はここから引いています。
「男湯」「女湯」の表示が、K先生のデザインの信長と濃姫です。陶器です。
見てのとおり、文字のプレートが、惜しい!!
多分、最初は文字が不要とのことで顔だけだったのが、わからない人たちのために文字を付け足したのでは。
まあね。。そゆことよくあるよね。
温泉は、あったまってすべすべになりました^^すごく気持ちがさっぱりしました。岐阜の中心から遠くないので、また時間を見つけて行きたいでーす!

  1. 2011/05/09(月) 12:47:01|
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Nさんより旅行写真

nさんよりbelgium2011
Nさんより、旅行の写真をまた見せていただけました。
以前見せていただいいたものと、同じ場所の写真があり、左の建物の壁面がちょっと美しくなっているかも、とか見れます。窓に映る景色のとかもすごいし、私が広告塔とか見たい、とお願いしたりしたので、ポスターや看板などがたくさん^^うれしいー。
名カメラマンです。素晴らしい視点をお持ちです。
旅行自体も楽しかったそうで、それが一番ですね。
  1. 2011/05/08(日) 00:09:08|
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