書いた文章の記録5
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日本国際ポスター美術館所蔵 ポスター展2022
「U.G.サトーの世界」

ユーモアポスターで世界に立ち向かう
U.G.サトーの世界での評価は、「Peace」と題した、青空を背景とし金網の一部が壊れ、その形が平和を象徴する鳩になっている様子を描いたポスターがブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(チェコ・1978年)、及びラハティ国際ポスタービエンナーレ(フィンランド・1979年)で金賞を受賞したことから始まる。
その後も氏は多くのポスターで平和、環境などの社会問題に対するメッセージを、ユーモア、エスプリ、錯視などを巧みに取り入れて描いている。彼自身の誰からも愛されるおおらかでユーモアにあふれたキャラクターは、ポスターを構成する線画や配色にそのまま現れ、世界の人々の目と心をぐっと惹きつける。
1995年、パリでの反核ポスターデモ行進は、彼の最も注目すべき金字塔である。当時フランスが南太平洋で核実験を行った際、氏はそれに抗議するポスターを、デザイン仲間から150枚、FAXで集めた。そしてパリのデザイナー、ジェラール・パリ=クラヴェル氏の協力により、シャンゼリゼ大通りでそれらを拡大したポスターを掲げ、大勢での行進を行ったのである。
この時氏がデザインしたゴーギャンの「タヒチの女」を模した「フランスの南太平洋核実験反対」は、翌年のワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ(ポーランド・1996年)で金賞を受賞した。
一連の反核ポスター運動は、その後も対象や媒体の形を変え各地で実行されていった。この運動によりメッセージを発信する速報性の重要性や、解像度の低い白黒の画像でもより視覚的に強く伝えることができるなど、「ポスターの可能性」がデザイン界に再注目された機会だったといえる。
日本国際ポスター美術館は1996年の開館以来、氏から大垣国際ポスター招待展への寄贈をはじめ、全国高校生ポスターコンクールの審査委員長、海外のデザイナーの紹介など惜しむことなくサポートしていただき続けている縁で、今回の展覧会の実現となった。その恩恵は計り知れなく、感謝の念に堪えない。
「U.G.サトーの世界」

ユーモアポスターで世界に立ち向かう
U.G.サトーの世界での評価は、「Peace」と題した、青空を背景とし金網の一部が壊れ、その形が平和を象徴する鳩になっている様子を描いたポスターがブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(チェコ・1978年)、及びラハティ国際ポスタービエンナーレ(フィンランド・1979年)で金賞を受賞したことから始まる。
その後も氏は多くのポスターで平和、環境などの社会問題に対するメッセージを、ユーモア、エスプリ、錯視などを巧みに取り入れて描いている。彼自身の誰からも愛されるおおらかでユーモアにあふれたキャラクターは、ポスターを構成する線画や配色にそのまま現れ、世界の人々の目と心をぐっと惹きつける。
1995年、パリでの反核ポスターデモ行進は、彼の最も注目すべき金字塔である。当時フランスが南太平洋で核実験を行った際、氏はそれに抗議するポスターを、デザイン仲間から150枚、FAXで集めた。そしてパリのデザイナー、ジェラール・パリ=クラヴェル氏の協力により、シャンゼリゼ大通りでそれらを拡大したポスターを掲げ、大勢での行進を行ったのである。
この時氏がデザインしたゴーギャンの「タヒチの女」を模した「フランスの南太平洋核実験反対」は、翌年のワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ(ポーランド・1996年)で金賞を受賞した。
一連の反核ポスター運動は、その後も対象や媒体の形を変え各地で実行されていった。この運動によりメッセージを発信する速報性の重要性や、解像度の低い白黒の画像でもより視覚的に強く伝えることができるなど、「ポスターの可能性」がデザイン界に再注目された機会だったといえる。
日本国際ポスター美術館は1996年の開館以来、氏から大垣国際ポスター招待展への寄贈をはじめ、全国高校生ポスターコンクールの審査委員長、海外のデザイナーの紹介など惜しむことなくサポートしていただき続けている縁で、今回の展覧会の実現となった。その恩恵は計り知れなく、感謝の念に堪えない。
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